弐挺拳銃

あーくすっぽいなにか。

固定を組みやすくするにはどうなればいいのか。

■ぐたいてきに
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二回に渡ってお送りいたしました、
運営=創世神、生放送等での発言=神託と表現しての記事。

 壱 → 運営という神が考えること、ユーザーという信者が考えること。 - Vol.1 -
 弐 → 運営という神が考えること、ユーザーという信者が考えること。 - Vol.2 -

で。
これはこれで、こう、ぼんやりふんわり伝えてはいるものの、
やっぱりなんとなく、抽象的で具体性に欠けるわけです。
なので、

 「どうやったら固定を組みやすくなるのか?」

の現実的な部分を、
神様がすること・私達がすることに分けて考えてみたいと思うのこふ。

運営という神が考えること、ユーザーという信者が考えること。 - Vol.2 -

■続いた
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Vol.1に続きましての記事。
無理に前回を読んでいただく必要はありませんが、
読んだうえで今回となれば、よりわかりやすいかと思います。
ただでさえ抽象的な表現ですしね。

そして、だいたいのスタンスは前回通り。
運営は絶対であると同時に、信者からの信心(カネ)が不可欠であり、
信者は改宗や棄教のみならず、神の在り方を問うことまで自由な権利がある……
ってな具合です。
すべてを無抵抗で鵜呑みにしろという姿勢ではありませんが、
そのあたりは、また別の機会があればということで。

運営と私、そんな距離感を維持したまま、第二回のはじまりはじまり。
……こう、たかだか30分一緒に遊ぶことを"固定"とするのに違和感を覚えますが、
そういう文化が定着以上、瑣末な感覚として横におきまして。
本日は、固定に関する神託について。

運営という神が考えること、ユーザーという信者が考えること。 - Vol.1 -

■神託は下った!
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このブログにおいて幾度も書いておりますが、運営は神様です。
かみさま。

一神教を崇拝する方にはピンとこない喩えかとは存じますが、
バレンタインやハロウィンやクリスマスや正月を満喫する日本人には、
咀嚼すれば理解できるものかとも存じます。
信者というワードには幾分の拒絶があるかもしれませんが、まあ見ておいきよ。

私達ユーザーがバーチャル世界に浸り、舞台を跳ね回れるのは、
彼らが、神としての権能を振るってくれているからです。
数値を設定し、調整をほどこし、実装する。

私達は、その恩恵に浴しているに過ぎません。
それは、決して違えることのできない間柄。
過不足なく、認識しなければなりません。

___
過不足なく、と書きました。
たとえば、

 「神様のいうとおり!神様の言うことは絶対!」
 「神がなんぼのもんじゃい!髪も薄いくせにのぉ!

のどちらもちょっと、過と不足がある。
詳しくは各々でお考えいただければというところですが、
盲信も軽蔑もよろしくはないよね、ってな具合です。
そこは本筋でないので横におきまして。

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