ラテン語で行こう。

2015/05/23, 18:00

■Omnium rerum principia parva sunt.
Omniumrerumprincipiaparvasunt.png

このところ、Web拍手やコメントで、

 「何かあったのかい」
 「内容が哲学しとるで」
 「(´・ω・`)げんき?らんらんの肉をお食べ」

といったアプローチを頂いています。何やねん一番下
確かに、見えるところだけでも、連続更新の終了であるとか、
気の乗りきらない記事であるとか、様子がヘンであったことは確かです。
…のまえに、連続更新してるほうがヘンな気はするけどもね?

ただ、これは私なりの問題解決の手段でして。
更に言えば、私の中で解決に至ったがゆえにアウトプットできるわけでして。
せっかくの機会、古の格言を引っ張り出して触れてみましょう。
といったところで段落タイトルのラテン語。

 「全ての物事は小さなことから始まる。」

僅かな変化を手にとれるからこそ、物事を進展させられます。
始まった物事全てを望むが儘の方向へ…とは限りませんけれどね。
それでも、まあええかで済ませて良いこと、看過してはならないことがあります。
今日は、そのあたりのお話をしてみることにします。土曜日だし。
何があったのかも、ちょっとだけね。
■Nosce te ipsum.
Nosceteipsum.png

さっそく二つ目にいきましょう。

 「汝自身を知れ。」

いったい何者であって、何ができて、何ができないのか。
それらを知らねば、物事と自身を隔てる距離や障害を感知し得ません。
冒頭とあわせれば、わずかなディテールの部分を認識することが大切。
自らが何者なのかを知るべし。

旅行へいくとき、目的地を設定しますよね。
ハワイなり熱海なり北海道なりを決めます。
でも、それだけでは旅行を始めることはできません。出発点を決めなきゃ。
…もっとも、言うまでもなく、自宅を出るところからではありましょうが。

しかし、言うまでもないとは言うけれど、
人間の精神旅行も同様のプロセスを経ると考えたとき、
果たしてどれほどが、出発点となる自分の現在地を理解できているのか?
自分が何者で、何ならできて、何ができなくて、何に挑め、何に破れるか?

他者へ伝える伝えないは別にして、そこのところを多少なりとも認識していなければ、
出発点が定まっていない、と見なされても不思議ではありません。
そして、こと人間の立てる目標において、出発点が曖昧なことは多々。
人様を言えたものではありませんが、人生設計ですら、出発点がガバガバなものだらけ。
美しくて素晴らしい目標ばかりを見つめ、足元がお留守ですっ転ぶばかり。

といって、それが悪いワケではありません。
見切り発車や勢いも重要で、「はずみ」から引き起こされる事象も現実です。
失敗しても修正すればいいのですからね。
そのユルさが許されるのもまた現実です。

けど、それをアテにしてはダメです。
昨日も書きましたが、立場を弁えないといけません。
自らの認識の甘さと計画の拙さに帰結することを、ほかのせいにしてはならないし、
まがりなりにも関与した人間がいるのなら、蔑ろにしてはならない、と私は思います。
私自身、見通しが甘くいろいろとやらかしますけれど、ちゃんとごめんなさいはしてきました。



■Fere libenter homines id quod volunt credunt.
Ferelibenterhominesidquodvoluntcredunt.png

つぎ。
苦しいことやしんどいことを抱えている人に向け、

 「忘れてしまえ」「気にするな」

と声をかける人がいます。
それ自体はきっと、相手を案じた言葉なのであり、
その点についてはとても尊く、素晴らしいことではあります。
私個人もそうした声掛けは嬉しいし、安らぐ側面は多いにあります。

しかし、対処法としては、個人的には全く、これっぽっちも同意できません。

忘れてしまえば、どうやって次に活かすのでしょうか?
自分の価値観や判断基準や行動規範と異なるから気になるのに、
その違いから目を背け、心地よい世界だけ見て何とするのでしょうか?

善悪は、一時的な一側面に過ぎません。
あるアングルから見れば良いことが、違うアングルからでは悪しきことになり得ます。
言うまでもなく逆も然り。そして、そんな価値観なんてものは簡単にひっくり返ります。
つまり、物事の良い面しか見ないのは、片手落ちも片手落ち。50%以下。
自分の見たいものだけ見てすべてを分かったつもりなんて、滑稽だと思いませんか?
自分の信じるものだけが世界の真実で、同意しない奴は馬鹿野郎ですか?
素晴らしい、何様のつもりなのです?神様のつもりなのです?
…といったところで段落タイトル。

 「人は、信じたいように信じる。」

本当にその事象や人物を理解したいのではなくて、
自らが信奉する虚像を満たすために触れたいというのなら、
何も言うことはありません。

私は、良かったことは良かったこと、悪かったことは悪かったことで、
可能な限りその全てを、自らの血肉にしたいと考えます。
そのためには、少なからず周囲に迷惑もおかけすることでしょう。
この所のように、ネガティブな表現を用いてみたり、否定的な物言いもします。
見たくない光景、知りたくない情報、それらを消化するのにはエネルギーが要ります。

そういうものを外に出さずにできる優れた人物も存在するでしょうけれど、
私はそこまで出来た人間ではないのです。残念ながら。
しかし、その落とし前の付け方、付けさせ方はそれなりにはレパートリーがありますから、

 「捨ててしまえば楽になる=楽になるから捨てる」

なんて享楽的な生き方よりは、成長に繋がると考えています。
人の手を煩わせて得たものを気に入らないから捨てるなんて、とんでもないことですよ。
何歳児でしょうか。20歳児や30歳児ですか。

そして、ここまで書いた内容自体、私個人が信じたいように信じているだけ。
ここから書く内容だって、おんなじです。
「私が認識する私は、こう信じている」をただ書いているだけ。



■Fiat eu stita et piriat mundus.
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途轍もなく遠大な目標を立てた人がいました。
おおよそ人間には実現不可能で、真似ごとに留めるにしても非常な献身が必要な目標。
当然「無理やろ」と感じ、それを伝えもしていましたが、挑む価値はあると譲らない。
最終的には私が折れて応援に回ったのですが、それがマズかった。
この「無理と分かっていて背中を押してしまった」感覚は、後々まで尾を引きます。

で、結果は予想通りの途中挫折。
本人の弁では先送りだそうですが、言葉遊びはともかく、この時点では諦めた形です。
となれば、何があったのか、どんな心境の変化があったのか、を聞きたくなります。
そこに潜むモノにこそ、次へ活かすべき材料があり、自身を知る手掛かりがあるからです。
客観的な視点を提供できるのなら、より効果的に活用できることでしょう。
失敗は誰にでもあることだから、同じ過ちを繰り返さないために。
けれど、言いにくいことでしょうから、無理に言わないでいいけれど、聞けるなら聞きたいと。
それに対し、返ってきた答えは

 「そのことにはもう興味が無い」
 「頼んだ記憶もない」

でした。
こう言われてしまえば、もうどうしようもありませんね。
前述の負い目もあり、過剰なアプローチが負担となっていた面も大きいでしょうけれど、
それら働きかけを含め、まるっと無かったことになりました。
私としては、身の程知らずをブチ上げられたことが焦点となりますが、
相手からすれば、また違う焦点があることでしょう。
真意は知りませんし、推測するのも失礼です。面倒とも言う。
当人が楽しめているのなら、それで良いのですしね。
そして、上の回答の通り、取り付く島がありませんので、自分で処理するしかない。
ですので、段落タイトル。

 「正義を行え、たとえ世界を滅ぼそうとも。」

に則り、私が信じる正義を適用してきただけです。
自身を捻じ曲げてしまった贖罪として、徹底して厳格に。
希望的観測、楽観的な見通しを排除し、事実に基づいて粛々と。
ひとつ前の段落に書いたように、投げ出さずに消化しきること。
投げ出されても投げ出さない。
何を奪われて、何を与えられたのかを認識し、ひとつひとつ評価する。

というために、このBlogやTwitterを使ってきた…が、ここ最近の在り方です。

結果として、色んな物を再評価し、再評価され、今ここに居ます。
話を吟味することなく、点と点の物言いだけで私を見限った人も居ます。
最後まで付き合い、線を引いて判断した人もいます。
ここはヴァーチャル。それぞれで良いのです。
ゲームをゲームらしく遊べれば、それでいいのです。
その評価軸は人それぞれ。


 「たかが遊びなのに真面目になるなんて。」

と言われるのなら、こう言い返しましょう。

 「真剣に遊べもしない軽薄さん。」



___
さて、すっきりしました。
まだまだ自分のことを知りませんが、立ち返るべき自分、原点はあります。

 「私は私であり、私は私でしかない。」

人様に向かって偉そうな講釈を垂れる前に、
自分を正面から見つめられる人間にならなければいけませんね。
また一歩ずつ歩いていくことにします。
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COMMENT

なんで豚がおんねん。
昔、自分が何かとお世話になってきた先生の1人にこんなことを言われたことがあります。
「自画像を描いてみろ」と。
曰く「他人の顔をまじまじと見て描くには抵抗や遠慮があるだろう。オブジェクトを描くには"モノ"を用意しなければならないだろう。だが、自分の顔ならどれだけ観察しても構わないし、素材に困ることも無いだろう。」と。
鏡を手にキャンバス相手に鉛筆を走らせて初めて分かる。なかなかどうして、難しい。
人並み程度には身だしなみに気を配り、鏡にも幾度と無く映して向かい合ってきた自分が、いざ手先で描いてみようとするとまるで思ったような形にならない。
「な?思ったように描けないだろう?」
「そんなもんだ(笑)」
師曰く「どうせ外面すら満足に描けないのだから、背伸びして内面を表現しようとするな」「自分1つ満足に描けないなら、もう少し人に優しくなれ」とか何とかだった気がします(せっかく教わったのにうろ覚え)
「身の程を知れ」と一言で済むような話を、わざわざ濃さの異なる鉛筆を何種類も集めて自画像1枚描き終わってから切り出してきたのは、前置きが長かったのか回り道だったのか…未だによく分かりません。
ですが、コメント1つの「前置き」にこの昔話は間違いなく長いと思います(自爆)
そんなわけで、汝自身を知る話。
自分の足で高みを目指そうとする者が、自分を知らなくてどうするのかっつーことですかね。
夢を掲げて夢を見つめることは、まあ、悪くありません。むしろ素晴らしい。目標がある時と無い時では、前者の方が「自分の動かし方」がある程度は分かりますし、大言壮語だろうと夢を持つ人を褒めこそすれ、悪く言う人はいないでしょう。
じゃあ、その夢を実現するには?
水着姿にビーチサンダルの人が「今から山を踏破したい!」と言っても草生やされて終わりですからね。
どんな装備が必要なのか、どれだけ時間がかかるのか、誰かと一緒に挑戦するのか…そんな5W1Hを完璧に埋めた先に、ようやくスタートラインが降りてくる。
スタートラインが出る前に勝手に走り始めて失格になる人が後を絶ちませんが。
汝の力は如何ほどなるや?それは5W1Hの前提を踏み倒して一足飛びに達せられるほどのものか?
なんて、カッコつけたことを言いながら、自分自身はどちらかと言えば「ポイ」してきたことの方が多い人間です。
それが本当に無茶な背伸びだったのか、楽をしたいから途中で勝手に諦めたのかは自分にも区別が付きませんが、少なくともそれだけの経験値を投げ捨ててきた。
これがゲームではなく現実世界の話なのですから、無駄にしてきた時間とお金、その他迷惑を考え始めると頭がおかしくなります。
これもまた「私が認識する私」の話。
思い、思われ、語り、語られ、気の遠くなるような各々の正義と正義と正義の果て。
最後に眼前の皿に盛りつけられたのは、毒か?薬か?それとも「鏡」か?
手始めに、どれだけ見つめても困らない自分自身に、鏡を向けて考えてみましょうかね。
2015/05/23(土) 20:27:47 |URL|ぷりにぃ #rzVhfMJo [EDIT]
大変参考になる記事でした。
現実的に不可能と思われる目標を立てた方に、「無理やろ」と伝えた理由について、もし良ければ、お聞かせ願えればと思います。
(=相手を引き止めた、と思っていますが、違っていたらすみません)
私が考える理由は
「挫折することによって受けるであろう精神的ショックから、相手を守るため」
「途方もない献身をしても実らなかった場合の、相手の時間や労力の無駄を省くため」
「周りの迷惑にならないようにするため」
かな、と思います。どれも相手や周囲の人をを思いやる「愛」から生まれる気持ちでしょうね。
私だったら「無理やろ」と伝えることもなく「痛い目に遭うかもしれないけど、放っておこう」「もし痛い目に遭ったら、相手を受け入れる準備だけしておこう」と考えてしまうので。やってみる事で何らかの経験を得られればいいなと。・・・・・・周囲の迷惑を考えていませんね。これはいけないな。
違う考えをお持ちの方の趣旨を聞いてみたいなと思いました。
2015/05/29(金) 23:52:13 |URL|Ship4のHu/Fi #- [EDIT]
コメントありがとうございます。
◆ぷりにぃさん
百聞は一見に如かず、何事も体験してみるのが一番ですね。
おそらく、ただ「身の程を知れ」と伝えるだけでは、
心にひっかかることなく、流れ落ちていってしまったかもしれませんね。
今思えばこそ回りくどく思えても、それで良かったのだと思います。
私の一件は、未来志向の名に於いて葬られてしまいましたが、
それはそれとして、自分に取り込んであげようと思います。
ちょっとだけ足が止まってしまいましたが、また再出発です。
インターバル走は得意ですから。
◆Ship4のHu/Fiさん
ご感想とご質問、ありがとうございます。
長くなってしまいますが、目を通して頂ければ幸いです。
まず、無理だろうと伝えた理由について。
仰られている通り、引き止めた格好です。
推測して頂いた三つの理由の中で、最初が一部該当します。
取り組んだことは無駄にはなりませんし、
周囲への迷惑は、トレードオフで仕方ないものと捉えています。
ただ、相手を庇護対象に見ていたのではありません。
「生きる意味」「最終的な目標」とまで言っていたため、
僅かな傷ですら大きなダメージに繋がりかねない、と判断しました。
そのうえ、たとえ傍目には失敗が約束されているように見えても、
当人はそうでないかも知れない…と、危惧してしまう程の自信過剰ぶりもありました。
こちらから明確な対案を示せずに流された引け目もあり、
であれば、せめて予期されるその時は私が身を呈してでも…と考えたのです。
結果から考えれば、私の心配は杞憂だったのでしょう。
上手に「切り替え」た後に、説明を求められるのを倦んだのかもしれません。
その直前に、別件でこちらが迷惑をかけてしまったこともあり、
諸々が重なって、もういいや!となったのでは…と、勝手に推測しています。
最後に、今まで伝えないだけで何度も迷惑していた、とも伝えられましたが、
当人としては事実だろうと、後出しの後付けで言われても…は素直な感想です。
今回私は、余りにも深入りしすぎました。
常々書いて来たような「相手は相手」と突き放せなかった。
それほどまで真摯に向き合いたい、どうにか支えや糧となりたかった相手とはいえ、
無駄だったと当人に判断されたのであれば、悪手だったのでしょう。
ならば、もっと早い段階で伝えて欲しかったモノもありますが、
そういう「期待」を他人に寄せたことが、最大の失敗、かもしれませんね。
期待、してもいいかなと思ったのですけどね。思ってしまった、のでしょうね。
しかし、道のりこそ違えど、結末は予想通りだったのかもしれません。
踏み台として役に立てたのであれば、それでもう充分です。
踏み台として消費したのならば、無様な姿は見せないで欲しいとも考えますが、
交流自体が断絶したいま、そのような期待をする機会もないので、安心です。
いまは、離れ際に砕かれ、バラバラになった自分の再構築で手一杯ですから。
…果たして、お返事になっているかどうか。
気になった点や疑問があれば、遠慮なくお聞きください。
2015/05/31(日) 13:40:54 |URL|松乃雪 #- [EDIT]
私の不躾な質問に対して、丁寧に真摯にご回答いただき、深く感謝しております。
遅くなってしまってすみません。謝意を伝えるのに時間がかかってしまったのは、読んでいて泣きそうになってしまったからです。同情、といった類の感情ではありません。ああ、世の中には、ここまで相手のを事を考えられる人がいるのだと。
私が考えていた「そもそも関わらなければ」という前提は成り立たなかったことに気づきました。できるならとっくにしていたはずで、できないから身を呈しても、と考えられたのだと。そこまで想う方との交流が途切れてしまったのは、読んでいて辛くなりました。
「貴方のためを思って=自分の見栄のため」という人が偶然、私の周りにいただけでした。だから、松乃雪さんの「純粋に相手のためを思う行動」が、心に残ったのだと思います。
どうか、松乃雪さんの再構築が上手くいきますよう、願っております。お返事、ありがとうございました。
人様のブログのコメント欄に書くべきかどうか迷う内容でしたが、どうしても伝えたかったので。不適切でしたら削除していただいても構いません。
2015/06/16(火) 23:16:03 |URL|Ship4のHu/Fi #- [EDIT]
◆Ship4のHu/Fiさん
こちらこそお返事に更なるお時間を費やしてしまい申し訳ありません!
重々承知のこととは思いますが、ここにあるのは、あくまで私側の言い分だけになります。
私にも様々な落ち度や失態があり、結果として相手への負担となったことは確かであり、
なんだかんだいって、私をカッコよく見せることを言っているだけかもしれません。
ですが、そう振る舞えるだけの余地があるのが、ある意味では最後に貰った贈り物なのかも…
と思いもしますが、それはそれでお人好しすぎるかなぁと苦笑もしてしまいますね。
ともあれ、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。心配して頂き、ありがとうございました!
何とか前には進めていますので、またお時間のあるときに、覗きに来て頂ければ幸いです。
2015/07/02(木) 02:56:00 |URL|松乃雪 #- [EDIT]

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