胡蝶の夢。

2015/08/18, 09:00

■荘子
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古代日本では、蝶と蛾は同一視されており(現代でも生物学的区別はありませんね)
そのふらふらと飛ぶさま、おぼろげな姿から、死者の魂になぞらえられたりしました。
こういった思想は日本のみならず、世界各地に存在します。
たとえばギリシャ語の「プシュケー」は、魂・心・息吹のほかに、蝶という意味があったり。
はかなげ。
■脇道
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日本で使われる「ちょう(てふ)」は、もとは漢字=中国から伝来した名称です。蝶。
それ以前、大和言葉では「カハヒラコ」「ヒヒル」「ヒムシ」などと呼ばれていたそうな。
当時、どちらかといえばあまり人気ではなかった模様。
忌み嫌われ…というほどではないにせよ、避けられてはいたようです。
吾妻鏡でも黄蝶群飛の怪異、不吉な予兆!なんて言われたりしていますね。
それほどまでに神秘的で、容易に触れざるものだったといえそうです。

…現代なら、わーすごーいきれーいやばーい!でスマホを掲げる人々の群れが見えます。
これはこれで怪異やんな。

___
しかし、古代中国で醸成された文化が「蝶」の名称とともに輸入されたことで、環境は一変。
調度品から衣服、家紋に至るまで、意匠として様々に愛用されていきます。
舶来品に目がない面はもちろんながら、「もののあはれ」との融合もあったのでしょう。

家紋ならば、平家の揚羽紋が有名でしょうか。
いまでは多くの家系で用いられていますが、
当時は畏怖の対象だったとも考えられています。

幼虫から蛹を経て輝かしく羽化する神秘は繁栄を予期させ、
現世(うつしよ)と幽世(かくりよ)を跨ぐかのような儚さは、
耽美でいて、いつか来たる抗いがたき死をも思わせました。
ヘルマン・ヘッセの言葉を借りれば、

 「そうか、そうか、つまりきみはそんなやつなんだな。
 「すべての美しいもの、亡び行く者の象徴。」

…のちに平家が辿った運命をなぞれば、なんだか一層と寂寞を覚えますね。
滅びの美学なんてものも存在しますゆえ。



■脱線おしまい
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こちょうのゆめ。
中国でも同様な思想があったがゆえに、この話も人々に響いたのでしょう。
これは夢か幻か、死か生か、本質とはなんぞ、みたいなこと。

是非、貴賎、正悪、美醜、その他もろもろひっくるめて見せかけの姿であり、
それに拘って囚われて自分を表現しているつもりになるのは「小知」に過ぎず、
そんな程度の判断で満足してたら仕方がない。
大事なのは他方を断じたり持論を掲げることではなく、
酸いも甘いも噛み締めて、もっとスケールでかくいこうぜ!ってなお話。

他人がどうあろうと構いませんが、私はこうありたいなーと思います。
他人がどうこう言うのを気にして過ごせるほど時間が余ってはいないし、
他人に軽んじられたと嘆くほどの自己愛や自意識もないし。
他人と書きましたが、その彼我すら、ってなお話でありまして。
飛んで火に入る夏の虫も、煩悩を絶つ象徴として崇められたりもしますから。
それは果たして、私かあなたか、私とあなたか。

___
特にまとめることもありませんが、
自分の箔付けに私を利用するのも、私を持ち上げて遊ぶのも、私を貶して悦に入るのも、
お好きなようにどうぞどうぞー。
ご自由に近づいてご自由に離れれば良く、私はそれを見ているだけ、を見ているだけ。
お互いにせいぜい楽しみたいものです!
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