PSO2全然関係ないから。

2015/02/20, 09:00

■関係なさすぎる
でも書いておきたいことがあるので書くのです。
なんせここは私のBlog、ライフログ置き場なのですから。

PSO2関連の情報をお求めの方に、この記事は全く価値がありません。
ささ、急ぎ回れ右をし、他の有用なブログ・サイトさんに向かうのです。



というわけで、
続き以下ですごーくたくさんスクロールをしてから話します。
■改行開始やで



























































































































■そろそろええやろ
sakura_front_600x450.png

もうすぐ桜の季節です。
桜といえば、事実上の日本の国花であり、春を象徴する花の一つです。
様々な品種があるため、春以外にも咲くものだってたくさんありますけどネ。
多くの場合で、桜といえば、ソメイヨシノを指します。
上の開花予想も、ソメイヨシノのものです。

ソメイヨシノも好きなのですが、私はヤエザクラにちょっとした思い入れがあります。

今から数年前の冬、年明け過ぎの頃。
親しい知人が、とある病で入院をすることになりました。

仲良くさせて頂いていたものですから、よく顔を出しにいきました。
こちらはお仕事をしながらですから、だいたい同じような時間になります。
すると、その知人のお部屋にいくまでに、だいたい同じような方とすれ違います。
中でも印象的だったのは、車椅子に乗った、ちっちゃいお婆ちゃん。

ほんとちっちゃかった。
。 ←これくらいちっちゃかった。



…お婆ちゃんのサイズはええねん。

そのお婆ちゃん、会釈するでも挨拶するでもなく、
じっ…と私の顔を見てくるのです。
最初に姿を見た時から、何度かを経てもじっと見てくる。
めっちゃ見てくる。
入院していた知人と「こんなお婆ちゃんと会うんだよ」なんて話をしたりしました。

すると後日、知人が看護師さんに聞いてくれました。
どうやら、別フロアに入院中の方だそう。
その病状とは別にアルツハイマーの進行もあるとか。


また後日、そのお婆ちゃんとまたすれ違いました。
何かの縁だし、ご挨拶でもしようかなって声をかけたんです。
めっちゃ見てきますけどね。

でも、
「こんにちは」
と声をかけた瞬間に、目をくわっと見開いて、何か言いたげに口を動かして、
お婆ちゃん、ちょっとしたパニック状態になってしまったのです。
車椅子を押していた看護師さんの処置で落ち着いた後、話を聞いてみると、

息子だ、と。
私のことを、ご自身の息子だ、と思っていたのです。

その時は、看護師さんがどうにか宥め、その場は収まりました。


___
そのまた後日に話を聞くと、ご家族の話では、
お婆ちゃんの息子さんは、若くして事故で亡くなっていたのです。

私をじっと見つめていたのは、彼岸と此岸を混濁していたからでしょうか?
死んだはずの息子が、自分を迎えに来たと思ったのか、
「今の」お婆ちゃんの中では息子さんは生きていて、会いに来てくれたと思ったのか。
いずれにしても、呆けの進行からくる記憶の混濁、勘違い…だったのです。



…ドラマなり映画なら、ここで会いにいって云々でしょうけれど、そのようなこともなく。
興奮させることのないよう、顔をあわせないよう、取り計らわれたのでした。
なんせ、それらは「勘違い」と宥められるのですから。
そのお婆ちゃんの容態が急変し、天に召されたと聞いたのは、
それからおよそ一ヶ月後だったか。


「呆けは神様からの最後のプレゼント」

とも言います。
息子さんに先立たれた悲しみを背負い生きてきたであろう人生、
その最後の最後に、あの一瞬は、果たして良きものだったのでしょうか?
もし良きものだったとして、あの時私が、何かもっと出来たことはなかったのか?
偽りの演技だったとしても。


そのお婆ちゃんは、お名前を「やえ」さんと言いました。
八重桜の八重。
小柄なやえお婆ちゃんとは違って大きな花をつける八重桜だけれど、
その花の開く季節が近づく度に、思い出してしまいます。


色々とね。
いろいろとね。
そんな、PSO2とは何にも関係のないお話でした。
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COMMENT

認知症などの方は認知機能が失われる、あるいはどれだけ低下しても、それと違って豊富にあるのが感情と聞きます。おばあちゃんには松乃雪さんが息子だと思って、それを勘違いだよと宥められて、どんな気持ちになったのか……自分にとっての真実を否定されて劣等感や脱力感を感じてしまったかもしれません。
しかし、医療側の対応は正しかったと思います。本当に息子だと嘘をついても話はややこしくなるだけだし、松乃雪さんを芝居に付き合わせるなどできるわけもない。松乃雪さんの知らない場面で他の方向からケアをしたかもしれませんし。(本当に勘違いと宥められていたのかは不明ですし)
ひっかかったのは、息子だと思っていたのになんで見つめるだけだったのでしょうか。話しかけたかったけど戸惑っていたのか、それとも沈黙で分かりあえていたのか……
結局、おばあちゃんは何を思ってたか本当のところは分からないことです。他人の気持ちを理解しようとしてもそれが勘違いであるかもしるないのですよね。
何ができるかはともかく、その一瞬単位で相手を尊重した動きをできれば後悔は少ない……そう思います。感情は豊富にあるのだから。
………松乃雪さんを、息子………?………………ハッ。
2015/02/20(金) 12:00:08 |URL|名無乃権兵衛 #- [EDIT]
うちのおおばあちゃんも、ばあちゃんも認知にかかり、最後は旅立って行きました。
綺麗事でまとめようとすれば、幾らでも形容の仕方があるとは思いますが、いざ家族側からするとあの状態は悲しくて、きつかったですね・・・
突然、目の前にあるガラスケースを開けずに中に物を入れようとするも、何度も何度もコツコツコツコツガラスに弾かれる姿。
病室に『ばーちゃん、調子どやぁ?』って入っても『あ、どうも・・・』って感じで会釈されるあの感じ。
それでも少し時間が経つと、懸命に思い出してくれて名前を呼んでくれる・・・
現実は厳しいです。
トイレに上手く行けずに介護する事も必要だったりします。
そしてクタクタに疲れても、時間など関係無しにお手伝いが必要だったり。
とても【大変】という言葉では表現できないレベルの症状、それが私にとっての認知という感じです。
【まぁ、順番だからね】誰かが亡くなった時、自分は良くこんな言い方をするようになりました。伊集院光さんの受け売りですけども。
誰か生まれるって事は、誰か逝くって事です。多少の誤差はあれど、順番にみんなその流れに乗ります。
そう考えると、何か自分の中で逝くと言う事がそんなに遠くない様な、そんな気がします。
記憶に残ってるばあちゃん達はにっこり笑っています。超元気です。
変ですねw あんなに大変で悲しかったのにw
久し振りにばあちゃんの事を思い出した記事でした。
ありがとうございます。
2015/02/20(金) 16:13:25 |URL|ノコーナ #- [EDIT]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2015/02/20(金) 17:34:06 || # [EDIT]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2015/02/21(土) 08:18:44 || # [EDIT]
お返事が大変遅くなり申し訳ありません!
◆ヤスコフノMagatamaさん
介護をする側のストレスは広く周知されていますが、
介護をされる側のストレスも大きな問題ですよね。
なぜこちらを見ていただけなのかは、今となっては知る由もありません。
でも、あの方のなかでは「息子」がそこにいて、
私がそう見えたわけで、ある意味ではこれも憑依であるとか、
降りてきた、と評される現象と呼べるのかなとも考えたことがあります。
私個人は嫌な思いをしていませんから、
数十年後にあちらへ伺う際にでも聞いてみようと思います。
◆ノコーナさん
身近にも認知症の方がおり、仕事柄よく接するものですから、
ご家族の心労、スタッフさんの苦労、ご本人の苦悩はいつも考えさせられます。
順番だから。その通りなのですよね。
いつかは自分も、その前に大切な人が、自分を見送る人もいずれ。
絶望することなく、されど軽んじることもなく、
真摯に向き合われた結果かと思います。
きっとそれが有難くて、お婆様達は微笑んでいらっしゃるのでしょうね。
◆非公開さん
幸せだったのかもしれませんし、
幸せな気持ちに至る前に引き離された悲しみがあったかもしれません。
今となってはわからないことで、正しい答えもないでしょうけれど、
どうしても考えてしまいますね。
同じプレゼントでも、嬉しい方、嫌がる方がいるのと同じように、
またその作用も違うように、あくまで一側面ですよね。
私も欲しくはありませんが、そう考えることで救われる想いがあれば、
それはそれで悪くはないのかなとも思います。
2015/03/02(月) 09:35:56 |URL|松乃雪 #- [EDIT]

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